秋夜


しばらくして、女がまたこう云った。

「死んだら、埋めて下さい。

 大きな真珠貝で穴を掘って。

 そうして天から落ちて来る星の破片を墓標に置いて下さい。

 そうして墓の傍に待っていて下さい。

 また逢いに来ますから」

自分は、いつ逢いに来るかねと聞いた。

「日が出るでしょう。

 それから日が沈むでしょう。

 それからまた出るでしょう、そうしてまた沈むでしょう。

 赤い日が東から西へ、東から西へと落ちて行くうちに、あなた、待っていられますか」

自分は黙って首肯(うな)ずいた。

女は静かな調子を一段張り上げて、「百年待っていて下さい」と思い切った声で云った。

「百年、私の墓の傍に坐って待っていて下さい。

 きっと逢いに来ますから」


      第一夜「夢十夜」夏目漱石 (筑摩書房、1908年)


Crossfade - GusGus, Mv: Tommy Kha, Iceland 2014

Crossfade - "Mexico" GusGus
Kompakt


この時女は、裏の楢の木に繋いである、白い馬を引き出した。

鬣を三度撫でて高い背にひらりと飛び乗った。

鞍もない鐙もない裸馬であった。

長く白い足で、太腹を蹴ると、馬はいっさんに駆け出した。

誰かが篝火を継ぎ足たしたので、遠くの空が薄明るく見える。

馬はこの明るいものを目懸けて闇の中を飛んで来る。

鼻から火の柱のような息を二本出して飛んで来る。

それでも女は細い足でしきりなしに馬の腹を蹴っている。

馬は蹄の音が宙で鳴るほど早く飛んで来る。

女の髪は吹流しのように闇の中に尾を曳いた。

それでもまだ篝火のある所まで来られない。

すると真闇な道の傍で、たちまちこけこっこうという鶏の声がした。

女は身を空様に、両手に握った手綱をうんと控えた。

馬は前足の蹄を堅い岩の上に発矢(はっし)と刻み込んだ。

こけこっこうと鶏がまた一声鳴いた。

女はあっと云って、緊めた手綱を一度に緩めた。

馬は諸膝を折る。

乗った人と共に真向(まとも)へ前へのめった。

岩の下は深い淵であった。

蹄の跡はいまだに岩の上に残っている。

鶏の鳴く真似をしたものは天探女(あまのじゃく)である。


      第五夜「夢十夜」夏目漱石 (筑摩書房、1908年)


Out Of Place - GusGus, Mv: Snorri Bros, Iceland 2020

Out Of Place - GusGus
Oroom

乗合はたくさんいた。

たいていは異人のようであった。

しかしいろいろな顔をしていた。

空が曇って船が揺れた時、一人の女が欄(てすり)に倚りかかって、しきりに泣いていた。

眼を拭く手巾の色が白く見えた。

しかし身体には更紗のような洋服を着ていた。

この女を見た時に、悲しいのは自分ばかりではないのだと気がついた。

ある晩甲板の上に出て、一人で星を眺めていたら、一人の異人が来て、天文学を知っているかと尋ねた。

自分はつまらないから死のうとさえ思っている。

天文学などを知る必要がない。

黙っていた。

するとその異人が金牛宮(牡牛座)の頂にある七星の話をして聞かせた。

そうして星も海もみんな神の作ったものだと云った。

最後に自分に神を信仰するかと尋ねた。

自分は空を見て黙っていた。

或時サロンに這入ったら派手な衣裳を着た若い女が向うむきになって、洋琴(ピアノ)を弾いていた。

その傍に背の高い立派な男が立って、唱歌を唄っている。

その口が大変大きく見えた。

けれども二人は二人以外の事にはまるで頓着していない様子であった。

船に乗っている事さえ忘れているようであった。


      第七夜「夢十夜」夏目漱石 (筑摩書房、1908年)


KEXP presents Performance - GusGus, live at Kex Hostel in Reykjavik, Iceland 2015

~ Track List ~

00:00  Mexico

05:30  Not The First Time

15:05  Obnoxiously Sexual

22:22  God Application

26:48  Airwaves 

37:47 Crossfade

KEXP.ORG

それでも百年がまだ来ない。

しまいには、苔の生えた丸い石を眺めて、自分は女に欺されたのではなかろうかと思い出した。

すると石の下から斜に自分の方へ向いて青い茎が伸びて来た。

見る間に長くなってちょうど自分の胸のあたりまで来て留まった。

と思うと、すらりと揺ぐ茎の頂に、心持首を傾けていた細長い一輪の蕾が、ふっくらと弁を開いた。

真白な百合が鼻の先で骨に徹えるほど匂った。

そこへ遥の上から、ぽたりと露が落ちたので、花は自分の重みでふらふらと動いた。

自分は首を前へ出して冷たい露の滴る、白い花弁に接吻した。

自分が百合から顔を離す拍子に思わず、遠い空を見たら、暁の星がたった一つ瞬いていた。


「百年はもう来ていたんだな」とこの時始めて気が付いた。


      第一夜「夢十夜」夏目漱石 (筑摩書房、1908年)